私探しをしない自分らしく生きるために〜大阪梅田Angelicaギータのブログ

スピリチュアルスクールAngelica~For Soul~ギータのつぶやき

正しいか間違ってるか〜OSHO

「これは正しくて、これは間違っている」と言われたことは全部忘れなさい。生はそんなに決まりきったものではない。今日正しいことも、明日には間違っていることになるかもしれない。今の瞬間には間違っていることも、次の瞬間には正しいことになるかもしれない。生は分類し整理するものではなく、「これは正しくて、これは間違っている」と簡単にラベルを貼ることもできない。生は薬屋の店先のように、どの瓶にもラベルが貼ってあって、どれがなにか分かるようになっているわけではない。生はミステリーだ。ある瞬間はあるものが適しているので、それが正しい。しかし別の瞬間、ガンジス川に非常に多くの水が流れたので、それはもう適さなくなり、それは間違っているということになる。私が正しいと定義するものは何だろうか?存在と調和するものは正しく、存在と調和しないものは間違っている。あなたはどの瞬間も、注意深くあらねばならない。なぜならば、それは一瞬ごとに新しく決められなければならないからだ。何が正しく、何が間違っているか、既成の答えに頼ることはできないのだ。馬鹿な人間だけが既成の答えに頼るが、そうすれば彼らは賢く判断する必要がないのだ。その必要がないのだ。あなたは何が正しくて何が間違っているかをすでに知っているし、リストも暗記できる。そのリストは長くはない。

…中略

しかし、私の理解するところはこれだ。戒めが与えられると、人々は困ることになる。なぜならば、それが与えられたとき、それはすでに時代遅れになっているからだ。生はとても速く動いている。それは躍動していて、静止していない。それは動きのない水たまりではなく、ガンジス川であり、つねに流れ続けている。これは一瞬たりとも同じではない。だから、一つのことがこの瞬間に正しくても、次の瞬間には正しくないかもしれないのだ。

では、どうすればよいのかね?一つだけ可能なことは、人々を目覚めさせて、彼らが自分で、変化する生にどう対応するか決められるようにすることだ。」

OSHO"Courage"勇気